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スウェーデンの王室になかなか迎えられなかったシルヴィア王妃とは?

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ストックホルムの衛兵交代式

スウェーデンの王室で最も険しい道を歩んだのは?

2012年に新王女が誕生したスウェーデンですが、新王女の祖母にあたるシルヴィア王妃は、スウェーデンの王室で最も苦しく、困難な道を歩んできた方だといえます。ロイヤルウエディングを迎えるまでに幾多の試練があり、ウエディングを終えてからも、国民からなかなか受け入れられない、という状況だったのです。

なぜ、シルヴィア王妃がスウェーデンの王室や国民に受け入れられなかったのかというと、シルヴィア王妃がスウェーデンではない異国の一般市民だったこと、王子よりも2歳年上だったこと、父親が戦時中にナチス党員であったことなどが理由のようです。

シルヴィア王妃の生い立ち

シルヴィア王妃は、1943年12月23日にドイツ人の父、ブラジル人の母との間に、3人の兄がいる第4子として生まれました。4歳の頃から家族とともに10年間サンパウロで過ごしました。
その後、ドイツにあるデュッセルドルフ市の高校を卒業し、その後スペイン語通訳を学びます。
スペイン語だけでなく、ドイツ語、ポルトガル語、英語、フランス語、スウェーデン語も流暢に話せるため、それを活かして通訳や国際的なイベントでコンパニオンとして活躍していました。

1972年に開催されたミュンヘン・オリンピックではグスタフ国王の担当コンパニオンに任命され、ここでスウェーデン王子として開会式に参席していたカール16世グスタフと知り合い、恋に落ちました。カール16世グスタフがシルヴィア王妃に一目惚れしたともいわれており、生れながらの美貌で、王子の心を鷲掴みにしたようです。

気になるロイヤルウエディングは?

数々の困難を乗り越え、やっとの想いで結婚まで辿り着いた2人。出会ってから4年後にストックホルムの大聖堂で結婚式をおこないました。

クリスチャン・ディオールの真っ白なウエディングドレスをまとったシルヴィア王妃。ティアラは、ベルギー国王であるレオパルド3世が、娘であるジョセフィーヌ・シャルロットにプレゼントしたもので、シンプルな中にエレガントさも兼ね備えた「さすが王室の結婚式」と感じられる式だったそうです。

ロイヤルウエディングの前夜には、有名なスウェーデンミュージシャンであるABBAが「ダンシング・クイーン」を披露。後に、この曲は世界中で大ヒットすることに。

周囲からの猛反対、国民からの受け入れがたい状況を乗り越え、シルヴィア王妃の明るい人柄、何事にも屈しない素質は徐々に受け入れられ、現在では高い人気を誇る王妃となっています。

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